ぽかぽかと気持ちのいい日差しが、窓から真っ直ぐに入ってくる。窓際の席でよかった、すき間風が寒い時もあるけど、それでもやっぱり窓際でよかった。
矢尾は考え、瞼を閉じる。遠くに聞こえる教師の声をBGMに、うつらうつらと気持ち良く寝始める。後ろを振り返ることもせず無意味に長い数式を黒板に書く教師は、クラスの大半が机に伏せていることに気付いていない。いや、気付いてはいるが気にしていないだけなのかもしれない。
とにかく、自分の腕を枕にし、落ちそうになった膝掛けをつかみながら隣りの席を見る。
背筋を真っ直ぐに伸ばし、教師が書く数式から一秒足りとも目を逸らさずにいる彼は、このクラスで唯一まじめに授業を受けている生徒である。
じっと黒板を見つめ、教師がチョークから指を離した瞬間から己の手を動かす。顔は一度も上げず、ノートに数式を書き連ねる。
その様子を矢尾はじっと見つめ、時々黒板の白い英数字を見て、それから自分の書きかけのノートを見下ろす。
溜め息一つ、体を起こした。
眠い眠くないで言えば眠い。だが、暖かな日差しをあびる明るい茶髪が微かに揺れるのを見ていたら眠気が吹っ飛んだ気がした。
早足の心臓を落ち着かせるためだ、そうだ、そうだよ、そんな感じだよ。別に、藤くんがどうとか、そんなの、全然関係ないよ。
矢尾が半分写し終わったところで教師が新たな数式を書き始めた。隣りの藤は、教師の指が動いたところから現れる白い文字をじっと見つめている。
姿勢は正しく、視線は真っ直ぐ。午後の日は柔らかく、彼の周りがキラキラしているような気がした。
そんな気がした。
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微妙に季節がずれてるのは分かってます。
(何かが確実に減っている気がする。そんな気がする)
2007/07/16
白い文字がどんどん消えていく。確認の時間は一瞬だった。振り返り、教室を見渡し、起きている人間を確認したあとにはもう教師の腕は動いていた。矢尾はその様子から一瞬も目が離せず、口を少しだけ開けたまま、ただただ消えていく文字たちを見つめていた。
ひどい。こんなのってない。だって、そんな、まだ途中だったのに……!
隣りを見れば、姿勢を正して次の数式を待つ藤が見える。一か八か、同じクラスなんだし、しかも隣りの席なんだし。
体を横にずらし、藤に少しだけ近寄る。悪いんだけどさ、小さい声でそう断ってから尋ねた。
「あとでノート見せてもらってもいい?」
目を丸くした藤がこちらを向いた。ノート? 俺の? 尋ね返してくる藤は心底不思議そうに、理解できない、なんでまた俺、本気で俺のノート? と顔で訴えてきた。それぐらいまぬけな顔だった。
矢尾は頷き、そう、藤くんのノートを、見せてもらいたいの。教師が黒板にチョークをぶつける音が始まった。また長い数式が生まれる。考えただけで目まいがしたが、藤はそうではないらしく、分かった、と短く返事をして、それからまた黒板を不動の体勢で見つめた。
キラキラして見える横顔に視線が釘付けになる。そんなに面白いこと書いてるかな、あの先生。白髪頭見るより、私を見ればいいのに、なんて、ひどい妄想。
「でも矢尾さん」
唐突に目が合う。驚いて、矢尾はシャーペンを手放した。ノートの上を転がり、机から落ちる。だって今までこんなことなかった。
「大丈夫?」
「あ、うん、ありがとう」
床に落ちたシャーペンを拾うため、藤の頭が矢尾の近くを通る。シャンプーの香りと洗剤の香り、それと少しだけ、彼の香り。指先と手のひらが触れた瞬間、手に全神経が集中した。指先から伝わる何もかもを記憶しようと、動けなくなる。
緊張のせいで棒読みになったお礼に恥ずかしくなる。隣りの席だったらシャーペンを拾うぐらい当たり前だ。そんなことでいちいち舞い上がるな。
自分をののしりながら藤の言葉の続きを待った。でも矢尾さん、のあとは何? 良い話、悪い話? どんな話?
「俺、字汚いけど平気?」
なんだそんなこと。言おうとして、藤のノートを覗きこむ。ゆるんだ頬が引きつるのが分かった。何とかなるかならないか、ギリギリなところだ。怪しいところだ。矢尾は少し考えてから、大丈夫だよ、と返事をした。
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(嬉しくて、それどころじゃない)
2007/07/17
どうぞ、と大学ノートを渡された。かけていた眼鏡をはずす藤を見ながら、矢尾はもったいない、と胸中でつぶやく。授業中だけでなく、普段もかけていればいいのに。
ありがとう、と受け取ったノートを開き、唾を飲む。分かってはいた。覚悟はしていた。大丈夫、なんとかなる。私ならいける。愛でカバーだ。愛? それは誰から誰に対しての愛?
藤のノートを鞄の中にしまい、携帯を開く。受信ボックスの一番上の相手にメールを送る。どうしよう、意味分かんない。
しばらくしてから返事が来た。蕪木(かぶらぎ)が矢尾の前の席に座る。
「何が?」
メールを送ったのに直接返事をするなんて、変な子。
矢尾の思考を知ってか知らずか、蕪木は眉間にしわを寄せ、ちゃんと説明しなさいよ。と矢尾の頭をたたいた。
「だから、よく分かんないの」
「じゃあ知らない。私も分かんない」
冷たい蕪木の言葉に矢尾はカーディガンを引っ張る。そんな言い方しないでよう。まるで泣きそうな声だ。自分で自分の声に笑いそうになり、矢尾は手を離す。
一体全体、なんだというのだ。
ただちょっと眼鏡がいいな、と思っただけで、横顔がキレイだな、とか、数学好きなのかな、とか、そんなどうでもいい事ばかりで、字が汚いことにすこぶるがっかりしたけどそれはそれで可愛いと思えちゃったりして、自分、気持ち悪い。
蕪木を盗み見れば空いた藤の席を見つめている。
「ようは、そういうことなんでしょ?」
視線は合わさず、だけどその一言で全てが伝わる。ようは、そういうことなのだ。
で? と聞いてくる蕪木に、矢尾はさあ? と首を傾げた。ペンケースで頭をたたかれたが何も考えられない。だからどうした、はまだ後でもいいんじゃないだろうか。
今の問題は、あのノートで正しい数式を読み取れるかどうかなのだから。
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(分かっていれば最初からどうにかしていたのに)
2007/07/17